【書評】島田裕巳「神社崩壊」

書籍

 神社界の実情。

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概要

 宗教学者・島田裕巳が、自身の考察とともに日本の神社が作る組織とその内情を綴った解説書。

 2017年末に発生した富岡八幡宮の宮司殺害事件を入口に、まずは神社界の懐事情や経済格差の実態を詳説している。

 そして、日本神社のほとんどを統括する神社本庁の実態と権力構造に迫り、そのイデオロギーが現代社会における神社存続の足枷になっていることを指摘し、その在り方に警鐘を鳴らしている。

レビュー

 本書は、日本の神社事情を掴む上で最適な入門書と言える。

 時節週刊誌の記事の情報を参照したり、著者個人の根拠のない考察が混じっていたりと首を捻りたくなる箇所はいくつかあるが、個人的には許容範囲だった。

 神社が歴史的にどのような変遷を辿って来たか、特に明治維新以降の日本の神社の内情が詳説されており、現代における神社が抱える問題がなぜ生じたかが歴史を追うことで良く見えてくる。

 

 江戸時代までは神仏習合によって神社は寺院とともにあり、むしろ神社の方がサブでメインは寺院だった。

 しかし明治維新後に天皇中心の国家体制を構築するにあたり、天皇の皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を特別扱いし、これに伴って神社そのものの価値を上げる必要性が生じ、神仏分離が図られる。

 国は、天皇が伊勢神宮に付随する儀礼、すなわち神道(本書では特に「神社神道」と呼称している)に付随する儀礼を執り行う際に、国民もこれに間接的にでも参加させようとした。

 しかし神道を宗教としてしまうと、憲法で定められた信教の自由によって「神道を信仰しない自由」が保障され、国にとっては都合が悪いので、神道は宗教の枠から外す必要性が生じた。

 こうした国策によって、伊勢神宮をはじめ神社界の日本国内における権威は一気に上昇したが、太平洋戦争敗戦によって岐路に立たされることになる。

 GHQが、神道こそが日本を無謀な戦争に駆り立てた元凶と考え、戦前の国家が神社を守る構図をぶち壊そうとした。
 (同時期に農地改革によって、神社所有の小作地は全て召し上げられ、これが後に神社間での経済格差を生む元凶となる。)

 権威失墜を免れたい神社界は足掻いたが結局神社と国家は完全に切り離され、神道には宗教として存続する道しか残されなかった。

 神社界は、1953年の伊勢神宮の式年遷宮が、神社界の権威を維持できるか失墜するかのターニングポイントとなると考えた。

 そこで式年遷宮を滞りなく実施するために「神社本庁」という組織を作り、傘下に入った全国各地の神社の人事権を掌握して、式年遷宮のための資金を集める仕組みを構築した。

 そして、伊勢神宮の権威を保つためには天皇制の維持が不可欠であることから、天皇制廃止を辞さない左翼派の運動にも警戒し、右翼的な政治運動も展開する必要性が生じた。

 しかし現代になって、この伊勢神宮のために設立された神社本庁に綻びが生じている。

 そもそも神社に祀られている「神様」は多種多様であり、全てが伊勢神宮に由来、もしくは縁があるものばかりではない。

 そういった背景のためか、伊勢神宮に縁のない神社との小競り合いが頻発し、神社が傘下から離脱するケースが相次いでいる。

 さらに、神社本庁の基本資金源となる神宮大麻も、それを納める神棚を設置する世帯数の減少によって販売数減少の憂き目に合っている。

 加えて、皇位継承者数の減少に伴って天皇制の存続が危ぶまれ、伊勢神宮の権威、すなわち神社本庁の権威が凋落する可能性も高まっている。

 そういった中で起きたのが富岡八幡宮における事件であり、本事件が直接の原因と断定はできないが、その翌年の初詣では全国的に神社への参拝者の減少傾向が見られた。

 本事件には神社本庁も絡んでいるが、神社本庁側は「富岡八幡宮は神社本庁傘下になく、我々には関係ない」というスタンスを取っており、反省の色は見えない。

 このまま進歩が無ければ、神棚の減少、参拝客の減少に歯止めはかからず、神社本庁に十分な資金が集まらず、伊勢神宮の式年遷宮の存続も危うい。

 

 長々と書いてしまったがまとめるとこんなところだろうか。

 個人的に気なるのは、前回の式年遷宮(2013年)に要する費用550億円の内訳だ。

 最も割合を占めている項目は何なのか、削減する余地はないのか。
 (なんかこういう考え方が企業人として毒されてるなと思う。)

 一応、現代における資金集めの手立てとしてクラウドファンディングという手がある。

 最近では国立科学博物館のクラウドファンディングにおいて、目標金額1億円を大きく上回る7億円が集まった。

 だが伊勢神宮の式年遷宮の場合は上記と桁が2つも異なり、そもそも550億円のうちの220億円は寄付金だというから、クラウドファンディングをやる意味はなさそうだ。

 ただ、2013年の式年遷宮から10年、富岡八幡宮の事件から6年が経過した今、国内でそこまで急激に神社離れが進んだという印象は受けない。

 もしこの感覚が正しければ、そしてこれが後10年継続すればおそらく次の式年遷宮は問題ないだろうが、それこそ著者の言う「試金石」となるだろう。

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終わりに

 やはりほぼ知識ゼロの界隈の本を読み進めると脳の消耗が激しい。

 ただこれをやらないと、自分の知識体系が広がらないのも事実。

 今の内に広げるだけ広げて加齢による脳の負担を軽減できるようにしたい。

 

 END

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