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子路第十三
子曰、
誦詩三百、授之以政不達、
使於四方、不能專對、
雖多亦奚以爲。
子曰く、
詩三百を誦して、之に授くるに政を以てして達せず、
四方に使して、專對すること能はずば、
多しと雖も亦奚を以て爲む。
先生が言うには、
「詩経三百編を暗唱できても、この人に政務を任せてもうまくいかず、
四方の国々に使節として遣わしても、一人でそれに対応することができなければ、
詩を暗唱できても何の役に立つのだろう」
必要なことを暗記しても、活用できなければ意味が無い。
ありきたりではあるが、こういった戒めも孔子の時代から存在したことを示す一節。
葉公問政。
子曰、
近者說、
遠者來。
葉公政を問ふ。
子曰く、
近き者は說ばし、
遠き者は來す。
葉公が政治について訊ねた。
先生が言うには、
「近くの人々(国民)には喜ばれるようにし、
遠くの人々(国外の民)が(憧れて)やって来るようにしなさい」
元明石市長の泉房穂を思い出す一節。
(人間性は置いておいて)彼の政策は市民に喜ばれ、市外からの転入者も増加した。
この意味では、彼は孔子の政治思想を体現したと言えるかもしれない。
子夏爲莒父宰、問政。
子曰、
無欲速。
無見小利。
欲速則不達、
見小利則大事不成。
子夏莒父の宰と爲り、政を問ふ。
子曰く、
速ならむことを欲すること無かれ。
小利を見ること無かれ。
速ならむことを欲すれば則ち達せず、
小利を見れば則ち大事成らず。
子夏が莒父の町の長となったため、先生に政治について訊ねた。
先生が言うには、
「早く成果を上げようとしてはいけない。
目先の小さい利益に囚われてはいけない。
早く成果を上げようとすると目的を達成できないし、
目先の小さい利益に囚われると大事を成し遂げられない」
学術関連政策に最も当てはまる一節。
学術成果は知識、技術、経験の蓄積の賜物で、早く上げようと思って上げられるものではない。
目先の小さい成果だけに注視して大局的に俯瞰できなければ、学術発展の未来はない。
子曰、
君子和而不同、
小人同而不和。
子曰く、
君子は和して同せず、
小人は同して和せず。
先生が言うには、
「君子は調和を大事にするが、安易な賛同はしない。
小人は安易な賛同をするが、調和を大事にしない」
調和、というよりは共感の方がしっくりくるかもしれない。
相手のことを良く知り(智)、その上で共感することと、相手のことを良く知りもせずに、ただ表面だけを見て安易に賛同することは違う。
前者の方が明らかに面倒くさく、後者の方が楽ではあるのだが、前者ができるかできないかで相手を思いやる心(仁)の有無がわかる。
子曰、
君子易事而難說也。
說之不以道、不說也、
及其使人也、器之。
小人難事而易說也。
說之雖不以道、說也
及其使人也、求備焉。
子曰く、
君子は事へ易くして說ばしめ難し。
之を說ばしむるに道を以てせざれば說ばざればなり、
其の人を使ふに及んでは之を器にす。
小人は事へ難くして說ばしめ易し。
之を說ばしむるに道を以てせずと雖も說べばなり、
其の人を使ふに及んでは備はらむことを求む。
先生が言うには、
「君子に仕えるのは簡単だが、喜ばせるのは難しい。
正しい道に沿って喜ばせる必要があり、
人を使うときはその技量に応じて仕事をさせるからだ。
小人は喜ばせるのは簡単だが、仕えるのは難しい。
正しい道に沿っていなくても喜ぶし、
人を使うときは(その技量を鑑みずに)その人ができないことをさせるからだ」
現代社会の縮図を端的に表現している一節と言えないだろうか。
現代のトップは正に「小人」であることが分かる。
できもしない仕事を部下に振り、正しい道に沿っていなくとも持ち上げさえすれば喜ぶ。
そして自分を喜ばせる太鼓持ちを出世させる。
子曰、
君子泰而不驕。
小人驕而不泰。
子曰く、
君子は泰にして驕ならず。
小人は驕にして泰ならず。
先生が言うには、
「君子は落ち着いていて威張らない。
小人は威張っていて落ち着きがない」
だからもし周囲に威張っている人がいたら「あ、この人『小人』だわ」と心の中で嘲笑すれば良い。
子曰、
剛毅木訥、
近仁。
子曰く、
剛毅木訥、
仁に近し。
先生が言うには、
「剛直で勇敢、質実で寡黙である者は、
仁徳に近いと言える」
四字熟語「剛毅木訥」の原典。
子曰、
以不敎民戰。
是謂棄之。
子曰く、
敎へざる民を以て戰ふ。
是れ之を棄つると謂ふ。
先生が言うには、
「教育していない人民を戦争に向かわせる。
これが人民を棄てるということだ」
太平洋戦争末期の日本の状態を端的に表現した一節と言えないだろうか。
当時の旧日本軍は慢性的な人手不足に陥り、十分な訓練も終えていない若者たちを戦場に送り込んだ。
もしかしたら十分に訓練を受けていれば救えた命もあったかもしれない。
憲問第十四
子曰、
貧而無怨難。
富而無驕易。
子曰く、
貧うして怨むこと無からしむるは難し。
富みて驕ること無からしむるは易し。
先生が言うには、
「貧乏で怨むことが無いようにすることのは難しいが、
裕福で威張ることが無いようにすることは簡単だ」
まさにその通りとしか言いようがない一節。
子路問事君。
子曰、
勿欺也。
而犯之。
子路君に事ふることを問ふ。
子曰く、
欺くこと勿れ。
而して之を犯せ。
子路が君主に仕えることについて訊ねた。
先生が言うには、
「裏切ってはいけない。
そして逆らってでも諫めなさい」
部下の諫言に耳を傾ける君主でなければ成立しないが、逆に部下の諫言に耳を貸さぬようでは君主の器ではないということだろう。
子曰。
古之學者爲己。
今之學者爲人。
子曰く、
古の學者は己の爲にす。
今の學者は人の爲にす。
先生が言うには、
「昔の学者は自分のために勉強した。
今の学者は人に認められるために勉強する」
試験勉強や受験勉強も、結局は社会に認められるための勉強でしかないんだよな。
ゆくゆくは自分のためになるというのは本当だが、これを実感するのは社会に出てから。
自分が知りたいから勉強する、これが本当の意味での勉強であり。自分の身になるんだよな。
次回はこちら。
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