【思考録】6:親

思考録

 今から書くことは、「お前ここまで言ったんだから将来まで筋を通せよ」というある種の戒めでもある。


「老後の親の面倒は子どもが見る」は当たり前? 

 まず単刀直入に思っていることを言う。

 「子どもが老後の親の面倒を見るのは当たり前」と思っている人間に虫唾が走る。

 

 「直系家族には扶養義務がある。これは法律で定められている」
 「今まで面倒を見てきたんだ。今度は自分が面倒を見てもらう番だ」
 「育ててもらった親の面倒を見ないなんて親不孝者だ」

 

 はあ?

 じゃあなにか?
 子どもが親の面倒を見ずに放ったらかしにしたら法律違反だと訴えるのか?
 自分が望んで生んで育てたはずの子どもに見返りを求めるのか?
 自分が育てた子どもを欠陥品のように罵るのか?

 

 

 ふざけるな。

 

 

 法律違反だろうが、老いて子どもに迷惑をかけたくないと思うのが親心じゃないのか?
 子どもが面倒をかけるのは当たり前と思って、見返りを求めずにいつもでも成長を見守るのが親の役目じゃないのか?
 親不孝に育ったのは自分に非と責任があると反省して子どもと向き合うのが親の行動じゃないのか?

 

 こんなことを考えている人間は、自分の子どもを将来の保険、道具としか思ってない。
 子どもを思いやって、愛情を注いで育ててきたとは到底思えない。

時代が違う

 そもそも今は、子どもが親の面倒をみるものという考え方が自然とまかり通る時代じゃない。

 今は80代の親を60代の子が面倒を見る時代。
 ましてや親が子どもより長生きすることも十分にあり得る時代だ。
 平均寿命が低く、40代の子が60~70代の親の面倒を見るのとはわけが違う。

 

 そして何より、今は先が全く見通せない時代だ。

 少し前まで普通の暮らしをしていた人間が、突然道端に放り出されることもあり得る。
 誰もが貧乏になりうる、一寸先は闇の時代。
 そういう意味でも、面倒を見てもらうという受け身の姿勢ではなくて、最低限自分のことは自分でどうにかしないと、家族共倒れするという最悪の事態を招きかねない。

 

 今、そしてこれからは、それこそ生涯現役、最後の最後まで自分の面倒は自分で見る時代なのだ。

親としての覚悟

 ここからは完全に自分への戒めの言葉になる。

 たらればの話だが、もし自分が親になって老いて、最後は自力で生活できない状態になったら、という話だ。

 

 まず、子どもが成長しても、生活面で子どもに頼りっきりの状態には絶対にならない。
 子どもには子どもの家庭、暮らしがある。
 お互い助け合うまでは良いが、完全に依存するのはアウトだ。

 自分の体が言うことを聞くうちは、今まで通り、自分は子どもの拠り所として機能していたい。
 親は最後まで親だ。
 だがだからと言って、成長した子どもに説教したり自分の考えを押し付けることはしない。
 自立したのなら大人として接して無駄なことは言わず、でも親として心の拠り所になる。
 これが理想的だ。

 

 そして、自分の体が完全に言うことを聞かなくなったとき、つまり要介護の状態になったときは、迷わず施設に入る。

 子どもの暮らしを変えてまで子どもに介護してもらい、共倒れになるのは愚の骨頂。
 介護には介護のプロがいるんだからプロに任せて、子どもは気にせず自分と自分の家庭に専念させるのが、親として正しい振舞い方だと思う。

終わりに

 自分はどちらかといえば、自分の考えが変わるのは悪いことではないと考える人間だ。

 むしろ、昔の習慣や常識で頭が石のように固い人間は害悪だとも思っている。

 だが、今回の考えは今、そして未来でも正しい考え方だと思うし、変えるつもりも毛頭ない。

 もし、何十年後になるかわからないが、自分が今回書いたことと真逆のことを言っていたら、この記事を突きつけた上で存分に罵ってもらって構わない。

 まあ何十年後にこのブログが存在しているか、そもそも自分が生きているかも怪しいが。

 

 END

 

 


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