【思考録】1-5:就職なんてしたくなかった②

思考録

 下記の続き。

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就職活動で私が拒否反応を示した事象

 1つ目。「企業人は社会に貢献しなければならない」という企業人の義務。
 今でもそうだが、私は社会に貢献したいなどと本気では思ったことがない。
 もちろん、私が大切に思っている人には幸せになってもらいたいし、その手伝いができるなら喜んでする。
 だがいわゆる「世のため人のために何かをしろ(すべき)」という言葉に、私は辟易としてしまうのだ。
 なんで互いによく知りもしない相手のために、もしかしたら私と全く反りの合わない人なんかのために、やりたくもないことをしなきゃいけないんだと。

 2つ目。付き合う人を選べないこと。
 私は、自分が交流を持つ人間は、私自身で選んで決めたいと思っている。
 しかし、社会ではそれが許されない。
 嫌いな人、反りが合わない人とも交流しないといけない。
 私は大学時代から、付き合う人を選ぶタイプだったから、この話を聞くたびに憂鬱な気持ちになった。

 3つ目。成果主義の昇給制度の広がり。
 よく言われる、年功序列制度にとって代わってきた、個人の能力や仕事の成果を昇給の基準にする考え方だ。
 以前は私もこの制度に賛成だった。
 しかし就職活動を控えた頃には、「結局社会にでても頑張り続けなきゃならないのか」とこの制度に辟易とした気持ちを抱くようになった。

それでも就職活動をやるしかなかった。

 企業人は社会に貢献しなければならない。
 仕事では付き合う人を選べない。
 成果主義の台頭。

 こういったことに拒否反応が出てしまった結果、「就職したくない」という思いがどうしても強くなっていった。
 しかしそんな本音を抱えながらも、自分の中では大学院後の進路は「就職」の一択しかなかった。
 そのため、嫌々でも就職活動をするしかなかったのだ。
 (進学や起業という手段は、当時から選択肢になかった。理由は別記事に書こうと思う。)

 その理由の1つ目は、親への負い目だ。
 私が在籍していた大学は私大で、学費面で親には負担をかけていた。
 大学院まで進学させてもらって、これ以上迷惑はかけられないと思っていた。

 2つ目の理由は、周囲の目とプライドだ。
 実に子供っぽい理由だが、実際はこれが私を奮い立たせた一番大きな要因だ。
 当時、(多分)優等生で通っていた私にとって、就職せず、進学もせず、起業もせずに、ただ大学院を修了してニートやフリーターになって周囲から軽蔑されることは、とてつもない恐怖だった。
 また普段の会話でも、散々ニートやフリーターを扱き下ろしていただけに、自分自身が軽蔑していた対象に転落するのはプライドが許さなかった。
 自分の面目を保ち、最も楽で無難な進路、それが「就職」だったのだ。

 こうした理由で、私は就職したくなくても就職しか道がないという状況に自らを追い込んでしまい、やむなく就職活動をした。
 そして、「就職したくない」という思いを引きずりながら就職したのである。
 1年目はある意味ハイな状態で頑張ることができたが、2年目になってからは「就職したくない」改め「仕事したくない」という気持ちが強まっていき、モチベーションを保つことができなくなっていった。
  そしてそのまま鬱々とした気持ちを抱えながら仕事を続け、現在に至っている。

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まとめ

 なぜ、今の仕事がやりたくないことなのか?
 それは、就職すること自体が嫌だったからである。

 就職に嫌悪感を抱かせたのは、
 ・ 企業人は社会に貢献しなければならない
 ・仕事では付き合う人を選べない
 ・成果主義の台頭
という事象だった。

 ではなぜ、こういったことに嫌悪感を抱いたのか。
 いよいよ自分の本質に迫る思考に入る。

 

 END

 

 ※追記
 自分の本質について考えてみた。

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