十数年ぶりに読み返した。
概要
現役の無期懲役囚:美達大和による死刑制度評論。
長刑期の囚人が集う「LB級刑務所」にて、いわゆる極悪犯罪者と呼ばれる者たちと寝食を共にしている筆者が、長期懲役囚の生態を包み隠さず暴き出す。
その上で、死刑を「人間的な刑罰」として絶対に廃止してはならないと論じている。
刊行から既に十数年が経過しているが、いまだに「存置派」と「廃止派」の間で議論が続く「死刑」という刑罰に対して、極悪犯罪者の生態を良く知る者の視点で死刑制度の在り方を論ずる本書は現在でも大きな意味を持つ。
レビュー
この本も、自分が学生時代に読んだ一冊。
当時裁判員制度がスタートしたばかりで、世論が「裁判」というものに深く関心を抱いていた頃、自分も何か軸になるものを持っておくべきだよなぁとは、ぼんやりと考えていた。
そんな折、たまたま本屋で見かけたのが本書である。
現役の無期懲役囚が死刑制度の在り方を説くという、かなり異質なコンセプトに惹かれて手に取り、パラ読みしてすぐ購入を決めた。
まず本書の主張はタイトル通り、死刑は絶対に存置すべきであるというものだ。
理由は単純で「極悪犯罪者は性根からロクでもない連中だから」である。
具体的には下記の通りである。
・全く反省せず、他責的で、自分の犯罪を平気で正当化する。
(例)「運が悪かった」「殺される側が悪い」などと被害者を嘲る。
・自分の利益しか考えず、己の欲求のまま行動する。
(例)法廷では保身のために平気で嘘をつく。
これは筆者が実際に刑務所で見てきた受刑者の生態そのものだ。
彼らは上辺では反省の弁を述べているが、本心は全くそんなことはなく、寧ろ被害者を逆恨みしたり、出所後に再び同じ犯罪に走ったりと、改心ということを知らない。
そして何より、受刑者にとって犯罪は「効率が良いもの」になっていることも大きい。
一般の感覚を持った人間であれば、殺人を犯して捕まり、十数年も刑務所で服役することは人生を棒に振ることに等しいと考えるだろう。
しかし、受刑者にとって、刑務所での十数年はあっという間だという。
十数年というと絶望的な時間のロスのようだが、受刑者の体感では一瞬であり、いわんや数年においておや、である。
よって窃盗系の常習犯にとっては、例え捕まっても一瞬で終わる服役を務めあげれば良し、捕まらなければ尚良しで、まじめに働いても月20万もいかない手取りで暮らすよりはよっぽど効率的ということになる。
この世間一般と受刑者での時間間隔のズレの存在もまた、より一般に周知していくべき事項だろう。
詳細は本書を参照願いたいが、以上のような受刑者の生態を頭に入れた上で、改めて「死刑廃止」と「終身刑設置」について考えると、どちらも犯罪の抑止には寄与せず、むしろ犯罪の増加に加担するものになりかねない。
「死刑廃止」がなぜ議論されるようになったか、そもそもの発端はやはり世界(というより欧州)からの死刑制度撤廃要求だろう。
(実際にEU加盟国は全て死刑制度を廃止している。)
最近だと性的同意年齢の引き上げ、これもかつて国連から引き上げ勧告を受けた過去がある。
ただ死刑制度廃止に関しては、向こうの息のかかった連中がピーチくパーチク騒ぎ立てている部分もあるだろうが、日本国内の世論としては「死刑制度」に対しては圧倒的に賛成多数であり、自分もそれで良いと考えている。
筆者曰く、欧州で死刑制度が撤廃されたのは彼ら独自の死生観や宗教観に基づいた結果であり、それを無理やり日本に当てはめるのは間違いだという。
その辺りは要検証だが、間違ってはいないだろう。
ただそれでも1つ課題として残るのは「冤罪」だ。
死刑制度がある以上、冤罪によって無実の人間が死刑判決を受けて執行される可能性は0ではない。
筆者は、死刑判決も考えられる極悪犯罪に関しては特に注意して、絶対に冤罪が起こらないように努力するしかないと述べているが、それでもやはり根本的な解決には至らない。
根本的に冤罪を防止する仕組み、言葉で言うのは簡単だが、実現するまで考え続けなければならない大きな課題だろう。
終わりに
合間合間に読み進めてようやく読み終えた…
上手くいけば来月には、もう少し腰を据えて本を読み進められるようになるだろう。
他にもやりたいことはたくさんある。
嬉しい悲鳴なのだが、いかんせん時間が足りない。
眠らなくても生活できる体になりたい…
END
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