看取りを別の視点から。
概要
フリーライター・上原善広による、聖路加病院訪問看護科の密着取材ルポ。
東京を代表する総合病院である聖路加国際病院(以下、聖路加病院)に所属する訪問看護科に著者が半年間通いつめ、訪問看護やそれを受ける患者の姿をリアルに描き出す。
さらに、訪問看護科のリーダーである押川真喜子氏にスポットを当て、彼女が聖路加病院で訪問看護科を立ち上げるまでの半生を綴る。
レビュー
看取りというジャンルでは、すでに大井玄氏の「人間の往生」を読んでいる。
大井氏は、心機能が低下した体に無理に水分や栄養を与える延命治療の末の死は、理想的な「老衰」による死とは異なると主張している。
訪問看護科にかかる患者は、場合によっては正に大井氏のいう理想的な「老衰」による死とは異なる最期を迎えることもある。
しかし、訪問看護科のリーダー・押川氏は逆に「『死にたくない』と思いながら死ぬことがなぜ駄目なのか?」と問いかけている。
言われてみれば当たり前のことで、自分の死に方なんて自分で決めればよいことで、他人にとやかく言われる筋合いなどない。
少なくとも、自分の死に関わる周囲の人たちと合意が形成されていれば、どんな死に方をしてもかまわない。
もちろん、自分にとって理想の死に方ができなかった場合も、落胆するのではなく、その生への執着を評価するべきなのだ。
死に際の一言が「仕事をさせてくれ」だった手塚治虫も理想の死に方はできなかったが、彼にはやりたいことが残っていた、マンガに人生を捧げ、懸命に生きようとしていたと評価するべきなのだ。
個人的には、押川氏の半生が面白い。
やはり自分は歴史が好きなんだなあと思う。
彼女は自分から見るといかにも「バブルの人」で、ついつい同世代のアグレッシブな女性芸能人と重ねて見てしまう。
ただ訪問看護師に関しては本当にセンスの塊のような人で(本人も訪問看護師に必要なものに「センス」と答えている)、なるべくしてなった人という感じがひしひしと伝わってくる。
本書の刊行が15年以上前なので現況を調べたところ、聖路加病院は2013年に退職しているが、別の訪問看護ステーションの管理者となっているようだ。
終わりに
今のところ、自分は老後は地元で過ごし、終末期には施設に入ろうと思っているが、家族の負担がかからないなら在宅が良い、というのが偽らざる本音。
自分が終末期になる頃に技術がどこまで進歩しているかに依るが、その前に自分の理想の終末期を固めておかないことには始まらない。
エンディングノートなんかにも興味があったりするのだが、さすがに時期尚早?
END
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