前々から読みたいと思っていた本。
概要
江戸時代の儒学者・貝原益軒が、自身の経験をもとに人間の一生における健康管理法をまとめた教訓書。
益軒が執筆したのが1712年だが、そこから300年後の現代においても現代語訳された形で刊行され続けている。
その内容は、日々の生活、食事、病気、用薬、養老など多岐にわたり、かつ状況に合わせた調理の仕方や薬の分量、製法などそれぞれのテーマごとに詳細な解説がなされている。
書かれた時代が時代故、考え方や知見が時代遅れなものも当然あるが、そういったものを差し引いても、現代に通用する考え方や心構えが明快に多く記されている。
私見
益軒が提唱する養生の基本は
・内欲(食欲、性欲、睡眠欲、喋る欲)をこらえて慎む
・外邪(風、寒、暑、湿)を畏れて防ぐ
ことであり、自分の心を律してこの2つを習慣づけて毎日実施するよう述べている。
「心を律すること」自体もそうだが、上記に基づいた具体的な行動として、
・食事は満腹まで食べず、腹八分目にとどめる。
・惰眠を貪らない。
・食事後は眠らず、体を動かす。
といった現代でも通用する「当たり前のこと」も散見される。
本田静六の「私の財産告白」を読んだ際にも同じことを思ったが、「当たり前のことをするのが難しい」のは人間のある種の性なのだろう。
そしてそれを指摘して滾々と説く本こそが、時代を超えて支持され続けるのだろう。
ここから、個人的に心に留めておきたいと思った記述をいくつか抜粋する。
無病長生は求められる
貝原益軒「養生訓」
世間には財産・地位・収入をひどくほしがって、人にへつらったり神仏に祈ったりする人が多い。だがその効果はない。無病長生を求めて養生を慎み、健康を保とうとする人はめったにない。財産・地位・収入は外にあるものだ。求めたところで天命がなかったら手に入らない。無病長生は自分のからだのなかのことだ。求めれば手に入りやすい。手に入りにくいものを求めて、手に入りやすいことを求めないのはどうしたことか。愚かなことだ。たとえ財産・収入が手に入っても、多病短命だったら何にもならない。
「運」で左右されるものを求めたってしょうがない。
自分でコントロールできるものをコントロールする方がよっぽど賢い。
例えそれで得られる恩恵を今肌で感じられなくとも、将来必ず報われると信じて肝に銘じておきたい言葉だ。
力相応に
貝原益軒「養生訓」
万事に自分の力を計算しないといけない。力の及ばないのに、無理にその仕事をしようとすると気がへって病気になる。能力以上のことをしようとしてはならぬ。
完璧を望むな
貝原益軒「養生訓」
すべてのことは、十のうち十までよくなろうとすると、心の負担になって楽しみがない。不幸もここからおこる。また他人が自分にとって十のうち十までよくあってほしいと思うと、他人の不足を怒りとがめるから、心の負担となる。また、日用の飲食・衣服・器物・住宅・草木などもみな華美を好んではいけない。多少ともよければ間に合う。十のうち十までよいものを好んではならぬ。これもみな自分の気を養う工夫である。
「心は体の主人である」と説く益軒は、体と同等に心にも気を配るよう諭している。
そして「心を安らかにする」ためには、自分の力量を知って相応の振る舞いをし、自分、他人、そして物に至るまで完璧を求めてはいけないと言う。
この「他人と物に完璧を求めない」というのは、人を指導する立場にある人、親、夫婦、カップルには心に留めておいておくと良いかもしれない。
気にいらぬ食物は
貝原益軒「養生訓」
食べものの風味が自分の気に入らないものは養分にならない。かえって害になる。たとえ自分のために手を加えて作られた食物でも気に入らず、害になるものは食べてはいけない。またその味が気に入っても、前に食べた食事がじゅうぶんに消化していないで、食べたくなかったら食べてはいけない。せっかく整えて出てきたものを、食べないのは悪いと思って食べるのはよくない。そばに使われている召使いなどに与えて食べさせれば、自分は食べないでも気持のいいものである。ほかの人によばれた席に行っても、気にくわないものは食べてはいけない。
最初、正直言って驚いた。
「無理して嫌いなものまで食べる必要はない」という考え方が認められるようになってきたのは現代からで、江戸時代~近代の日本では食べ物を粗末にしてはいけないという考え方が常識だと思っていた。
その江戸時代真っ只中で益軒は「嫌いなものは食べるな」と言っていたのである。
今になって考えると、「食べ物を粗末にするな」と口酸っぱく言うのは戦争で飢餓を経験した人たちであり、江戸時代でも食べ物に困らない生活をしていた人たちは、案外現代人と似た食事観をもっていたのかもしれない。
だがさすがに食べられないものを「召使いに食べさせる」のは現代では無理があるから、「可能であればお持ち帰りする」と代えた方が現実的だろうか。
酒を人にすすめるには
貝原益軒「養生訓」
酒を人にすすめる時、とくにたくさん飲む人も、程度をこすと苦しくなる。もしその人の酒量を知らなかったら、少しすすめてみるがよい。その人がことわって飲まなかったら、その人に任せて、みだりに強制せず早くやめたほうがよい。量がたりなくて、不機嫌なのは害はない。飲みすぎると人に害がある。客に御馳走を出しも、むやみに酒をすすめて苦しませるのは人情に欠ける。深酔いさせてはならない。客は主人が進めなくても、常より少し多く飲んで酔うであろう。主人は酒をむやみにしいず、客は酒をことわらずに、ちょうどよく飲んで、喜びを合わせて楽しむのが、これが一ばんいいだろう。
飲み会オヤジ共に朗読させたい一節。
医は仁術
貝原益軒「養生訓」
(中略) 医術の上手下手は人命にかかわる。人をたすける術で、人をそこなってはならぬ。学問のよくできる才能のある人を選んで医者にすべきである。医学を学ぶものが、もし生まれつき鈍で、才能がなかったら、自分からさとって早くやめ、医者にならぬのがよい。 (中略) もし才能がなかったら、医者の子でも医者にしてはいけない。ほかの職業を習わせるがよい。不得意な仕事を家業としてはいけない。
これも最初読んだときに驚かされた一節。
家業を継いで家を守るのが常識とされた時代に、益軒は医者の子でも才能が無かったら医者にすべきではないと説いたのだ。
「医者という職業は人命に関わるんだから、それに相応しい人物を適正に選ばなければならないのは当たり前だろう」と、益軒が自身の考え方に対して確固たる自信を持っていたことを窺わせる一節だ。
確かに益軒の言うことは当たり前で、現代でも当てはまる。
自分が医者だからと言って自分の子どもに医者になるように強要する親が果たしてどれほどいるのかは知らないが、もしいるのであればこの一節を読ませて自分の子どもが医者に相応しい人間かを見極めさせてやるべきだろう。
晩節を保って
貝原益軒「養生訓」
いまの世間では、年とって子に養われている人が、若い時より怒りっぽくなり、欲もふかくなって、子を責め人をとがめて、晩年の節操を保たず、心を乱すのが多い。抑制して怒りと欲をこらえ、晩年の節操を保ち、ものごとに寛容で、子の不孝を責めず、つねに楽しんで残った年を送るがよい。これが老後の境遇に適したよい生活である。 (中略) 世間で若い時はたいへん抑制している人があるが、老後になって逆に多欲になり、多く怒り、深くうらんで晩年の節操を失う人が多い。用心しないといけない。
「キレる老人」は現代だけではなく、どの時代にも存在していたのかもしれない。
特に「ものごとに寛容で、この不孝を責めず」を忘れないようにしたい。
日々楽しむ
貝原益軒「養生訓」
年とってから後は、一日をもって十日として日々楽しむがよい。つねに日を惜しんで一日もむだに暮らしてはいけない。世の中の人のありさまが、自分の心にかなわなくても、凡人だから無理もないと思って、子弟や他人の過失や悪いことは寛大にすべきで、とがめてはいけない。怒ったりうらんだりしてはいけない。自分が不幸で貧乏であったり、他人が自分に対して無茶なことをしても、うき世のならいとはこうしたものだと思って、天命にさからわず、憂いてはならぬ。
老後の過ごし方を記した一節。
ただし、当時は老年に達すると稼業を引退するのが当然であり、隠居した老人の振る舞い方という前提があることに注意。
ただ個人的には、流れに身を任せて逆らわず、ありのままを受け入れる、自分も老いたらならそうありたいと思う。
(老後の生活基盤が固まっている場合、の話だが。)
終わりに
自分の身は自分で守る。
このマインドが、養生の方法を実践して継続させるのだろう。
この本をきっかけに、個人的に教養レベルでもいいから医学を勉強しようと考えている。
高校時代、暗記ばかりさせられて「生物」は忌避の対象となってしまったが、まずは面白いと直感で感じたところからかじっていきたいと思う。
END
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