下記記事
にて私は
・成果主義の昇給制度が嫌だ。
・「起業」と「進学」は進路の選択肢に含まれていなかった。
と書いた。
本記事では、この2点について詳しく書こうと思う。
成果主義は「脅迫」
ちょっと本題から外れ、成果主義の昇給制度についてもう少し書く。
社会に出たら頑張らなきゃいけないのは、日本社会では常識だろう。
しかし、昔はそれでも「年功序列制度」という未来が約束された昇給制度があったからこそ、当時の人は(よくよく考えるとおかしいことがあっても)妄信的に頑張れたんじゃないかと思う。
平たく言えば「この会社で真面目に働けば明るい未来が待っている!だから頑張れ!」というのが年功序列制度だ。
だが今は成果主義の時代。
これは「この会社で成果を上げないと昇給できないぞ!だから頑張れ!」という、ある種、脅迫めいた制度だなと私は思う。
確かに人々は嫌でも頑張るだろう。
だがその代償が、すでに人々の「余裕のなさ」という形で社会に表れているように見える。
私は余裕を失ってまで、成果主義の世界に身を置きたいとは思わない。
脅され尻を叩かれて仕事をするより、稼ぎが少なくても、心に余裕をもって仕事をする方がマシではなかろうか。
「起業」と「進学」を捨てた理由
大学院を修了した後の進路は、私の中では「就職」一択だった
その他の手段、特に「起業」と「進学」に関してはどう考えていたのか。
1つずつ見ていく。
まず「起業」だが、これは大学入学時から全く考えていなかった。
理由は、自分が起業しても成功するとは思えなかったから、そして色々面倒くさそうだったからだ。
起業なんていうのは、志が高くかつ頭がキレる有能な人がするものであり(というか本来そうあるべきだと考えており)、私が手を出してよいものではないと思っていたのだ。
また、ビジネスのネタを考えないといけない(最初からネタがあれば楽なんだろうが)、司法的な手続きをしないといけない、その周辺の法律を把握しなければならない、など私にとって面倒なことが多そうに思えたことも理由の1つだ。
続いて「進学」だが、実はこれに関しては大学院1年のときに真剣に考えた。
だが、 当時の私は学業で結果を残せていたとはいえ、学業と研究は全く異なるものだということに気づいていた。
「学業」は確立した理論を理解し、答えが決まっている問題を解く営みである。
対して「研究」は新しい理論を一から構築し、答えがわからない問題の答えを探す営みだ。
(「学業」と「仕事(ビジネス)」も同様の対比関係である。)
私はいわば「型にはまった優等生」であり、答えのない問題に対しては滅法弱い。
あけすけに言えば、私は研究が苦手なのだ。
そして、そのことに気づいた私が、完全に「進学」を諦める決断を下した出来事がある。
博士後期課程の学生や博士研究員が集まる勉強会への参加だ。
進学を考えている私に教授が薦めてくださった勉強会で、実際にその道に進んでいる人の生の声を聞く良い機会だった。
そこでわかったのは、博士後期課程に進む人は本当に頭がキレて、かつその研究が好きな人だったということ。
ただでさえポスドク問題だなんだと騒がれている中で、こういった人たちとポスト争いをしなければならないと思ったとき「あ、無理だ。勝てない」と思ったのだ。
こうして私は「起業」と「進学」という選択肢を捨て、やりたくもない就職活動に身を投じたのである。
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