違和感の正体に近づいた、か?
概要
元検事・郷原信郎が送る、コンプライアンスの指南書。
「日本はそもそも法治国家なのか」という問いから出発し、法令さえ守っていればよいという「法令遵守原理主義」が企業、ひいては国を衰退させるメカニズムを解説する。
さらにその上で、コンプライアンス≠法令遵守を掲げ、コンプライアンスの意味を再定義し、国や企業が今後進むべき道を示す。
レビュー
本書が刊行されてからすでに15年以上経過しているが、今の日本が本書内の実情と全く変わっていない現実に虚しさを覚える。
本書の言いたいことを要約すると下記のようなところだろう。
法令は本来、社会的要請の実現を目的として制定される。
しかし、日本では各法令が制定当時からアップデートが十分になされておらず、現代の社会的要請と乖離しているものがほとんどである。
社会的要請に応えるのが企業の第一の使命であるが、マスコミ等の影響で世論は「法令遵守こそ正義」という声がマジョリティとなり、企業は社会的要請の前に法令遵守を最優先にする。
結果、市民が本当に求めるものと、企業が提供するものとの間のギャップが埋まらない状態にあるのが今の日本。
企業は法令をただ守ればよいわけではなく、それをヒントに社会的要請を的確に把握してそれに応えなければならない。
まあそれはそうだけどね、というのが正直な感想。
この実情を知らない企業の側からすれば「法令さえ守っていれば社会的要請に正しく応えている」と思うわけだし、そもそも「法令が社会的要請を的確に反映していない」などと思ってもいない。
今の利潤第一主義の企業の営みにおいて、「法令遵守」は「面倒だけどやらないとマズイものだから仕方なくやる」ものであって、やらなくて良いなら率先してやめたいというのが正直なところだろう。
そして本書の内容を把握したらなおさら、「なんで守らなあかんの?」と余計に疎ましく感じられてしまうだろう。
結局のところ本書に書かれている提案は対症療法にすぎず、根本的原因は「法令と社会的要請の乖離」なんだから、「法令を現代に即する形にアップデートする」ことが根本的な解決になる。
しかし、それは日本という国では極めて非現実的だ。
その理由は、「日本は法令を一から作るノウハウを持ち合わせていない」ことに尽きる。
日本は明治維新の折、欧米に追い付け追い越せの標語のもとで急速に近代化を進めたが、スピード感を重視した結果、法整備に関しては欧米の法令のコピペに近い形で終始してしまった。
その結果、日本では一から法令を作る機会が失われてしまった。
今の法令を現代版にアップデートするには、ほぼ一から作り直すような形になるだろうが、日本はそれができない。
今からやろうにも、今の世界の変化のスピードについていくことは至難の技だろうし、わざわざそんな面倒なことを今の日本の政治家がやるとは到底思えない。
これを実行するには、それこそ戦争で負けるレベルで日本がぶっ壊れる以外に機会はないように思える。
終わりに
実は今もう一冊平行して読んでいる本がある。
至る所で名著として紹介されている本だが、あまりに長くてなかなか進まない。
外国人著者の本だが、「群衆の智慧」しかり、やはり外国人著書の日本語訳はすんなり頭に入ってこない。
基本的に一文が長いし、その結果として全体的に長くなる傾向にある。
やはり自分は日本人なんだなとつくづく思う。
END
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