自分への戒めの一冊。
概要
恐山菩提寺院代・南直哉によるエッセイをまとめた一冊。
Webマガジン「考える人」の連載「お坊さんらしく、ない。」を加筆修正した上でまとめたもの。
内容は多岐に渡るが、その根底には一貫して仏教の教えが存在し、現代社会の諸問題を大胆に、そしてユーモラスに捌いていく。
レビュー
南院代の本を読むのは、下記に続いて2冊目だ。
本書は、上記の本から10年後に刊行されたものである。
正直今、この本のレビューを書いてよいのか悩んでいる。
いや、内容が云々の問題では決してなく、自分なんかがこの本のことをアレコレ書いても良いものだろうかと怖気づいている、と言った方が正しいかもしれない。
それだけ、この本は非常に示唆に富む本だ。(これだけの言葉で片付けるが失礼な程。)
もちろん、タイトルにある通り「苦しくて切ない人」が読むべきなのは間違いないが、個人的には逆にそうでない人、人生楽しくて仕方がないという人にこそ読んで欲しい。
この本で言及している話題は、ネット社会の危険性、核家族問題、コミュニケーション能力、あらゆる分断、上司部下問題、宗教2世問題、終活、親ガチャ、自己責任論者など非常に多岐に渡る。
中でも、コミュニケーション能力を「能力の問題ではなく経験と量の問題」、葬儀を「遺族が好きにするべきことで既にいない本人が決めてもどうしようもない」、自己責任論者を「大バカ者」とバッサバッサと切り捨てていく様は痛快そのものだ。
個人的には自己責任論者を言及する部分を読んだとき、久々に胸のすく思いがした。
この部分を含む203、204ページの内容は暗唱できるほど頭に叩き込みたい部分である。
本書には通底する考え方がある。
それは「人間は本来無価値である」ということだ。
この考え方を軸に据えると、あらゆる違和感の正体が一瞬で暴露される。
例えば、これは本書に言及はないが、自分探しの旅、これは全くの無意味である。
なぜなら自分という存在は他者でしか意味づけされないからだ。
自分一人が旅に出て行ったところで、自分を見つけ出せるわけがないのだ。
似たような考え方で、本書ではあらゆる違和感に対する捉え方を提示してくれる。
今後の軸に据えるべき考え方である。
この考え方に関連して、子がいる者として本書の最後の最後、236~238ページも暗唱できるレベルで頭に入れて置きたい部分である。
他にも笑い話だったり、新たな視点を提示してくれる場面があったりと、終始飽きることなく読み通せた。
死ぬまで繰り返し読みたい一冊である。
終わりに
本書を読んで、なんとなくYouTubeで永平寺の修行風景の動画を見たくなって見ていた。
そうしたら娘がやってきて、自分の膝に座ってしばらく一緒に見ていたと思ったら、そのまま眠りに落ちてしまった。
昼寝の時間が迫っていたこともあったが、このようなことは初めてだった。
お寺の風景や音に自然とリラックスした娘は、やはり日本人だなと思った。
END



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